Up | マスコミの終焉 : 要旨 | 作成: 2022-01-28 更新: 2022-01-28 |
「大衆はマスコミにだまされるという感覚があまりない。フェイクニュースやデマがたくさんあるという事実や怖さについて、小中学生から教育していくことが大事だ」 「新型コロナ」でのマスコミの立ち回りは,マスコミが世論の誘導を企図するものであることを,改めて暴露することになった。 その世論誘導の方法は,「専門家」の使用である, その「専門家」は,マスコミの「御用専門家」である。 マスコミは,全体が一色・一辺倒になる。 その中に多様性は現れない。 マスコミは,全体主義の洗脳メディアになる。 「SNSでニュース」は,「いかがわしい不特定多数の発信」であるが,これは「いかがわしい御用専門家に物を言わせるマスコミの発信」への対置である。 全体主義への「個の多様性」主義 (個人主義) の対置であり,統制主義への自由主義の対置である。 パーソナル情報端末が本物になり,言説の多様性にひとが恒常的に曝されることになったとき,マスコミは居場所が無くなる。 これは,インターネットの登場のときから,言われてきたことである。 実際,マスコミは,パーソナルメディア時代のビジネスモデルを結局つくることができずに,ここまで来ている。 マスコミは,終わるしかない。 世論誘導の体質は,変えられないからである。 マスコミが終わることは,ニュース発信が無くなることではない。 需要があるところには,供給がある。 ニュースには需要があり,よってニュースを供給する者がつねに現れる。 ただ,それは旧態化したマスコミではない,というだけのことである。 「フェイクニュースやデマがたくさんあるという事実や怖さ」は,アタリマエのことである。 社会が競争社会であるということ自体が,そもそもこういうことなのである。 人の<生きる>は<自分が生産した物を人に買わせる>であり,<買わせる>ために行うことが<騙す>なのである。 自由主義社会は,民主主義 (「多数決」) を方法論にする。 この方法論は,員が「賢い」ことが必要条件になる。 そこで教育が課題になり,「小中学生から教育していくことが大事だ」となる。 「小中学生から教育していくことが大事だ」の考えに向かわせるものは,「児童・生徒が SNS でニュース」ではない。 「マスコミの世論誘導──全体主義の洗脳」の方である。 |