Up 構成主義 作成: 2010-08-11
更新: 2010-08-11


    本論考は「数学のカラダ」を「構造主義のカラダ」として主題化しているわけであるが,この「数学のカラダ」をつくる数学教育は,どんな数学教育でもよいというふうはならない。 構成主義の指導になっていることが,要件になる。

    数学の体系は,構成主義でつくられている。 よって,数学の指導は,本来,そのままで構成主義の指導になる。 数学の<わかる>は,構成がわかるということである。
    しかし,学校数学は,構成主義を敬遠するという意味で,数学を敬遠する。 <わかる>ではなく,<できる>を択ぶ。

    学校数学は,形式感覚を用いることに頓着しない。循環論法に頓着しない。 これは,<構成>を閑却しているためである。
    「数学のカラダ」をつくる数学教育は,これを改めるものでなければならない。 すなわち,概念の導入 (定義) を構成として行う,定義の含意 (定理) の導出を推論として行う,問題解決を推論として行う。──これらをきちんと行うものでなければならない。