Up | はじめに | 作成: 2009-11-30 更新: 2009-11-30 |
一方,「数学の学習は,学習者にとってどんな意味があるのか?学習者の成長にどう関わるのか?」と自問するとき,答えられない自分を見出す。 出口論は,現前の学校数学の側からこれを求めるときは,わからないものになる。 これに対し,現前の出口論は,好ましい人間像の論述の方から始める。そしてつぎに,この好ましい人間を実現する学校数学を求めようとなる。 しかしこのときは,学校数学をつくれない。 本論考は,現前の学校数学の側から出口論を求めることの方を,改めて課題にしようとする。 現前の学校数学の側に立つとは,所与の側に立つということである。 所与を,<経験(歴史)の淘汰をくぐってきたもの>と捉えてみる。 そこにはことばにならない「これがよい」がある,というふうに考えてみる。 「これがよい」を論述できれば,それが求める出口論になる。 |