Up 傾向性の論述 作成: 2008-10-06
更新: 2009-09-10


    <役に立つ>とは,<役に立つ>を実現するカラダができあがっているということである。
    「カラダ」は,「傾向性 (disiposition)」のことばで言い換えられる。
    こうして,<役に立つ>の論述は,「傾向性」の論述に代えられる。

    傾向性は,これが発生させるものごとの内包である。
    傾向性が発生させるものごとは,傾向性の外延である。

    傾向性は,行動傾向として,つぎの形式で論述される:
      このような状況では,このような行動が起こる。
    そして本論考では,つぎが問題になる:
      このような状況では,このような行動が起こる。」の論述は,実際どんなものになるのか?

    学校数学の<役に立つ>は,実験できるわけではないが,「それの有ると無いが,カラダの成長のどんな違いに現れるか?」で表現される。
    カラダの違いは,「傾向性 (disiposition)」で表現される。 すなわち,行動傾向として,「このような状況では,このような行動が起こる」の形に表現される。

    このとき,学校数学の「役に立つ」は,「よいカラダをつくる」「よい行動傾向を実現する」の意味になる。
    また,これに対応して,「学校数学の<役に立つ>とは?」の問いがつぎの形に代えられる: 「学校数学が実現するよい行動傾向とは何か?」
    「そのよい行動傾向が学校数学によるものであるとする根拠は?」

    生きるのに具合のよいカラダの形成が,「成長」である。
    ここで,「カラダ」をつぎのようにとらえる:

      <カラダ>は,これから発生するものごとの内包であり,
      <カラダ>から発生するものごとは,<カラダ>の外延である。

    さらに,つぎのように考える:

      行動主体AとBの行動が違うのは,AとBのカラダが違うからであり;
      AとBのカラダが違うのは,成長が違うからであり;
      AとBの成長が違うとは,学習経験 (受けてきた教育) が違うということである。