Up 行為の主語は, <わたし>ではなくカラダ 作成: 2010-08-04
更新: 2010-08-04


    「数学=道具」の発想/イメージは,「<わたし>が数学を使う」である。
    ここで<わたし>をやめたらどうなるか?
    わたしのカラダが「数学を使う」を表す,になる。
    リアルに近そうなのは,<わたし>が数学を使うの方か,わたしのカラダが「数学を使う」を表すの方か?

    数学をしているとき,<わたし>はそこに現れていない。 <わたし>が現れるのは,行為から離れるときである。
    「数学を使う」の主語は,<わたし>ではなくて,カラダである。 そして,カラダは数学を使わないので,カラダが「数学を使う」を表すというふうになる。

    カラダが「数学を使う」を表す。──だれに表すのか?
    <わたし>を登場させるとすれば,ここである。 ただしこの<わたし>を論ずるのは形而上学になる。そして,形而上学は行わないというのが本論考の立場である。