Up | はじめに | 作成: 2012-02-12 更新: 2012-04-13 |
算数・数学ができる・わかるとは,理に則って考えられることだと思われている。 翻って,算数・数学ができない・わからないとは,理に則って考えられないことだ,となる。 そして,理に則って考えられないのは,アタマがわるいからだ,となる。 ここで,もし算数・数学の科目の内容が決して明証的ではないとしたら,どうだろう? 生徒も授業者も,明証的でないものを明証的であると思い,自分のうちで明証的にしようとし,それができないことを自分のアタマのせいにしてしまう。 教員だったら,さらに,<できなくてもできるふり>を強迫観念にしてしまうかも知れない。 「分数・小数のかけ算・わり算」の現行指導は,立式・計算のきまりの説明が,わからないものになる。 特に,「数直線」を使う説明は,わからないものになる。 そして,生徒も授業者も,わからないのを自分のアタマのせいにしてしまう。 しかし,「分数・小数のかけ算・わり算」の立式・計算のきまりの現行の説明は,もともと明証的でない。 説明を呑み込む者が<できる・わかる>者になり,説明を呑み込めない者が<できない・わからない>者になる。 明証的でないことは,「明証的」を知らねばわからない。 明証的な「分数・小数のかけ算・わり算」はどこにあるかというと,数学にある。 そこで,つぎが,「分数・小数のかけ算・わり算」の現行指導の非明証性を示す方法になる:
対置作業は,これに先だって,「分数・小数のかけ算・わり算」の数学の押さえをやっておく必要がある。 この押さえを,本テクストを以て行う。 |