Up | 大乗と小乗 : 学校教員養成の場合 | 作成: 2007-10-10 更新: 2007-10-10 |
しっかり研鑽を積むことができていなければ,ずっと未熟者である。 未熟な教員は,授業ができないことに悩む。 そして,多くの教員が,「確かな授業」ができる方法を求めている。 そこで,このような教員の「救済」を本位とするメソッド──大乗メソッド──の立つ余地がある。 メソッドには分限があるが,「救済」レベルが大乗メソッドの分限である。 「救済」レベルを超えると,大乗メソッドは使えなくなる。 小乗を受け持っているのが,大学の学校教員養成課程である。 小乗を受けもつことが学校教員養成課程の役割であり,実際これの他には小乗を担当するところは存在していない。
学校教員養成の小乗は,「主体性」を学校教員の基本要件と定めて,これの涵養を仕事とする。 なぜ「主体性」か?に対しては,「マニュアル指向は,教育では危ない」「教育は,多様な主体が揃い,多様な主体によって支えられねばならない」と答えることになる。( 主体性の育成) 学校教員養成課程の小乗は,「大乗でない」と批判される──すなわち,つぎのようではないと批判される:
この批判は,学校教員養成課程の役回りをとり違えていることになる──したがって,的外れである。 問題は,小乗と大乗のバランスが悪いということである。 「授業ができていない教員」は現実である。これを「救済」する大乗が要る。 「授業ができるようになる」は,本来 OJT (On-the-Job Training) の形で職場の中で解決されるものであるが,現実の職場は必ずしもこの条件を満たしていない。特に小規模校は,不利である。 以前は,教員が自発的に運営する研究サークルがいろいろあり,「授業ができるようになる」の相互指導もやっていたわけだが,いまは時代風潮と関係して,うまく機能しなくなっている。 |