修論は,「数学の授業をどうするか」の論としてつくられる。
特に,具体的な数学の授業を,その中で示さねばならない。
(数学教育の論は,現実の数学の授業に結実しなければならない!)
こうして,「主題研究・授業設計」は,修士課程の全般を通じて,修行の根幹になる。
この「主題研究・授業設計」の修行は,指導案を作成し模擬授業するという実践形式で行う。
そして,たくさん授業をつくるというのではなく,一つ一つを完全につくり込むことをやる。
肝心なのは,広さではなく,深さである。
──これは,教育学で謂う「転移」の要諦。
「指導案を完全につくり込む」のうちには,「完全シナリオをつくる」が含まれる。
完全シナリオを課すことには,主につぎの2つの意味がある:
- きちんとつくっていないことばが授業本番でうまい具合に出てくるはずがない,ということを学生にわからせる。
- 完全シナリオにすることで,抜け落ちに気づく。構成のおかしさも,顕れてくる。
指導案をつくることとそれを授業にかけることは,まったくの別物である。
指導案作成が模擬授業まで進んで,一つの課題ということになる。
模擬授業を課すことには,主につぎの3つの意味がある:
- 指導案をつくることとそれを授業にかけることはまったくの別物である,ということを学生にわからせる。
- 模擬授業をやることで,主題研究・授業設計での抜け落ち・欠点・間違いがまた見つかってくる。
- 自分の授業力の無さ/貧しさを,わからせる。
「自分の授業力の無さ/貧しさを,わからせる」について:
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ここしばらく,教育実習で学生が厳しく指導されることはなくなった。
厳しさに対する学生の耐性が弱くなってきたので,指導側が学生を潰さないことの方に専ら気を遣うようになっているからだ。
しかし学生は,これですっかり勘違いし,「自分の授業力はたいしたものだ/まあまあだ/ひどくはない」と思ってしまう。
学生は,めちゃくちゃな授業をやり,そしてそのめちゃくちゃを意識できない。
模擬授業は,このような学生に自分の授業のめちゃくちゃをわからせる指導である。
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