Up | 出口論主流の意義は,指導課程づくりとは別のところに | 作成: 2009-11-21 更新: 2009-11-21 |
出口論は,ここしばらく,OECD-PISA が主流である。 「問題解決」はどうなったのか? OECD-PISA と「問題解決」の違いは? 両者は根っこのところでは同じである。 実際,「問題解決」で出口論をやってきた者は,OECD-PISA の出口論にスムースに移行できるだろう。 そこで,出口論とはそもそも何なのか?を改めて考えてしまうことになる。 出口論は,「これに対応する指導課程を,これからいっしょにつくろう!」を内容に含んでいる。 ここで注目すべきは,<対応する指導課程>の存在は,論点にされないということである。 <対応する指導課程>の存在することが,当然視されているか,あるいは当て込まれている。 出口論は,数学教育学でいつも最も盛んな領域になる。 しかし,<対応する指導課程>の実現は,遅々として進行しない。 そして,実現しないうちに,新しい出口論の登場になる。 しかも,新しくなっているのは装いであって,根のところは変わっていない。 この現象は,つぎのことを示唆する:
出口論は,ゴールを示すという形で,ムーブメントをつくる。 一方,ムーブメントはそのゴールに到達する必要はない。 ゴールが存在する必要もない。 実際,ムーブメントが長く持続するのは,すぐにも手が届きそうに見えるが実際には到達が無いゴールの場合である。 出口論のこの在り方は,不思議でもなんでもない。 社会・経済は,ムーブメントを創出するものの出現を求め,そしてそれのつくりだすムーブメントにしばらく乗る。 新しいムーブメントが起こっては消える。 これが,社会・経済のダイナミズムである。 現前は,出口論の機能が「経済効果」「教育界の行動励起」の部分で圧倒的に大きいことを示している。 そこで翻って,つぎのような考え方も成り立ってくる:
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