Up | 市場原理貫徹の大学教育は,構造的に無理 | 作成: 2008-05-11 更新: 2008-05-11 |
そしてこの「改革」は,構造的理由から失敗する。 どういうことか? 市場原理貫徹を実現するための最初の作業は,国立大学の各要素を商品化する (=値段をつける) ことである。 しかし,この最初のところで,計画は頓挫してしまう。 すなわち,商品化作業の中心は組織員の商品化であるが,これにギブアップしてしまう。 一時「組織内評価・競争主義」信仰のバブルに嵌ってしまった営利企業も,いまはこれから撤退している。 組織の構成要素を商品にすることは,できないのだ。 なぜか? 「商品」には,それを買うところの<外部>という契機が要る。 組織には,自分の構成要素を買うという行動様式は存在しない。 したがって,組織が自分の構成要素を商品にするというのは,もともと論理矛楯である。 翻って,組織の構成要素でも,それを買うところの<外部>をもつものなら,その値段を使うという方法で組織の中で商品にできる。 プロ野球チーム企業,タレント企業,有名講師で売る学習塾企業などは,このような例になる。 そこでは,要員に値段をつけることができる。 「改革」は単純なアタマの者でなければできないというのが相場であって,果たして「改革」派は,国立大学もこのような企業と同じと見たわけである。 しかし,国立大学の組織員の場合,これを買うところの<外部>というものは存在しない。また,<外部>を第三者的につくろうとしてもつくれない。 実際,むりやり<外部>をつくろうとした結果が「業績評価」のフォームであるが,実態を反映するものにはならない。これを信じる者はいない。
むりやり<外部>をつくるとは,<偽>をやるということ。 実際,「<偽>をやる」は「商品化」の論理的含意である。(「改革」は<偽>の文化に進む) 国立大学と有名講師で売る学習塾企業は,何が違うのか? 系の複雑度が違う。 実績を「それを買うところの<外部>」の形で表すことができるのは,系が極く単純な場合に限られる。 |