Up 金の損得勘定に嵌る 作成: 2009-04-19
更新: 2009-04-19


    「業績評価」は,評点を給与の額に連動させることで,対執行部協調へのインセンティブを一般教職員の中につくろうとする。
    翻って,金の損得勘定が自分にとってつまらないことになっていれば,「業績評価」に対して涼やかでいられる。 金の損得勘定が自分にとって重大事であれば,「業績評価」に対して熱くならざるを得ない。

    金の損得勘定が自分にとってつまらないことであるか重大事であるかは,自分の哲学がどのようなプライオリティをつくるものになっているかということに依っている。

    バブルの時代のトイレットペーパ狂乱のように,国立大学はしばらく「業績評価」で狂乱することになる。 そして,トイレットペーパ狂乱が後で振り返って恥じられるように,「業績評価」も後で振り返って恥じられるものになる。(「業績評価」の問題の核心を外してしまう)
    つぎの境地を理想にもっていれば,この後悔を少なくできるかも知れない:

    人は,己れをつゞまやかにし,奢りを退けて,財を持たず,世を貪らざらんぞ,いみじかるべき。昔より,賢き人の富めるは稀なり。
    唐土に許由といひける人は,さらに,身にしたがへる貯へもなくて,水をも手して捧げて飲みけるを見て,なりひさこといふ物を人の得させたりければ,ある時,木の枝に懸けたりけるが,風に吹かれて鳴りけるを,かしかましとて捨てつ。また,手に掬びてぞ水も飲みける。いかばかり,心のうち涼しかりけん。
    孫晨は,冬の月に衾なくて,藁一束ありけるを,夕べにはこれに臥し,朝には収めけり。
    唐土の人は,これをいみじと思へばこそ,記し止めて世にも伝へけめ,これらの人は,語りも伝ふべからず。
    (『徒然草』第18段)