Up 評価委員会/文科省の評価と大学の王道の関係 作成: 2006-08-16
更新: 2006-08-16


    評価委員会/文科省の「大学評価」は,つぎのように特徴づけられる:

    1. 態度評価を中心におく
    2. 態度評価は,「一般形式の評価」の形をとる

    1 については,「評価委員会/文科省の「評価」知らず」で言及した。
    2 の「一般形式」は,「リストラの課題のねじ曲げ──ジリ貧政策へ」で述べたつぎの対比の「一般」の方:

    専門一般
    専門教育一般教育
    実質陶冶形式陶冶
    教科縦割教科横断
    鍛錬学習支援
    実質サービス
    象牙の塔開かれた大学


    これに対し「大学の王道」はどうかというと,(「個の多様性」観に基づく) 自由主義/個人主義に付くので,特に態度評価のような考えを退ける。そして上の表の「専門」の方を本位にする。

    これは,「大学」観の古い・新しいの問題ではない。
    「大学」は,「未来の創造を学問的探求の形で行う場」であることを自らの意義とする。これを否定したら大学でなくなる。 そして,「大学」のこの意義を貫徹しようとしたら,自由主義/個人主義と専門陶冶が「大学の王道」になる。


    評価委員会/文科省の「大学評価」は,「大学の王道」がまさに退けようとするもの (「放っといてくれ」の類のもの) を評価しようとする。
    つぎは,この構造の論理的含意:

      大学が点取り主義に進むことは,「大学の王道」を捨てることになる。


    評価委員会/文科省には「大学改革」の思いで自分が進めているものが「大学破壊」になることが,わからない。一方,大学人の多くは少なくとも直感的/本能的にはこのことをわかっている。ただ,問題を言論にすることがめんどうなので,評価委員会/文科省の進める「大学改革」を黙認する態になっている。すなわち,大学破壊を黙認する態になっている。
    これは,「無知と無責任が大学を壊す」の絵に他ならない。